テレクラでセックスするようになってから人生は薔薇色だ

テレクラでセックスするようになってから人生は薔薇色だ

均整のとれた完璧なスタイルとすべての男を跪かせる圧倒的な美貌の持ち主であるテレクラ女を、逆にセックスでもってねじふせて性的に支配するあの尋常ではない快楽を知ってしまうと、もうテレクラセックス以外のセックスは退屈で仕方なくなってしまう。

だから俺は今日もハニーラインにコールをする。理想のテレクラ女とのセックスが俺を待っているからだ。ハニーラインが俺を裏切ったことは一度もない。ハニーラインはいつだって俺に最高のテレクラセックスを提供してくれる。

当然ながら最寄りのセンターにコールだ。テレクラ女とセックスするようになって驚いたのは、自分が住んでいる街にこんなにもエロい女たちがひしめきあって無数に存在しているという事実だった。

ハニーラインを使うまでは、俺が住んでいる街なんてのはどこまでも荒んだ灰色の街、いや、もっというとクソしか住んでない肥溜めにすぎなかった。うんざりするような労働と味気ないオナニーだけが日課で、日々はあっという間に無意味に過ぎ去っていく。

だが、どうだ。ハニーラインを使った途端、俺の街はその景色を一変させてしまったではないか。

うんざりするような労働は、テレクラセックスをするための可能性へのきっぷへ支払うための金を稼ぐ愉快なものになり、エロい女とのセックスに満ち溢れた街には色彩と香りがあふれかえり、無意味だった日々はテレクラセックスというあまりにも大きな価値が日常的に手に入るグレイトフルデイズに変化したのだ。

一体、俺が住んでいる街のどこに、こんなエロい女どもがいまのいままで隠れていたんだ?という疑問は、テレクラセックスが日常となり、エロく高貴なテレクラ女のヴァギナにペニスを打ち込むことが日課となった今になっても消えることはない。

わかっていることはただ一つ。それは、テレクラへコールをすればこのエロい女どもは俺の世界に現れてセックス可能な存在になるのだし、コールをしなかったらまたその姿を肥溜めの街のなかに隠してしまうということだけだ。

だから、俺はハニーラインの利用をやめない。いや、もっというと、やめるわけにはいかないのだ。ハニーラインを使うことをやめて、またあのもとのクソそのものの暮らしに戻ることに恐怖しているのだ。

その恐怖は、俺のセックス中のピストン運動に反映されているものではないだろうか。テレクラ女の肉体があまりにもエロすぎ、また顔が美しすぎることによってピストン運動が激しくなっていることは確か。だが、それだけでは説明できない常軌を逸した腰の激しさが俺にあるのも事実。

ブロンドヘアーをかきみだしながら喘ぎまくるテレクラ女も、俺以外の人間からはこれほど激しく突かれたことはないかもしれない。俺以上に、眼の前のテレクラセックスが当たり前のものでなく、テレクラの消滅とともに消滅することに怯えている人間はおそらくいないのだから。

テレクラ女は俺に中出し射精を要求してやまない。どうかしているぜ。今日出会ったばかりの見ず知らずのテレクラ男の精子を腟内に出してほしいなんて懇願しやがるんだから、テレクラ女ってやつらはまったく頭がイカれてやがる。

もちろん、俺はテレクラ女の要求に従う。断る理由もないからな。だが、膣内射精をしながら俺はいつも思うんだ。これは夢なんじゃないかってな。これはきっとテレクラハニーラインが見ている夢だ。

俺はハニーラインの夢のなかに出てくる登場人物の一人に過ぎなくて、ハニーラインが眼を覚ましたら、眼の前のテレクラ女も、大量放出した膣内射精も、俺自身も消え去っちまうんじゃないか。

でも、いまのところ、ハニーラインが目覚める気配はない。俺は今日もハニーラインにコールできたし、最高のテレクラ女にファックを決め込んだし、絶好調だ。いつまでもこの膣内射精のような快楽の日々を繰り返していたい。だから、俺はこれからもハニーラインにコールしつづけるしかないんだ。

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