テレクラ女との甘美な快楽のむさぼりあいで絶頂に達する

テレクラ女との甘美な快楽のむさぼりあいで絶頂に達する

女であれば誰もが甘いものが好きだというのは途方もない勘違いである。だから、甘いものが好きな女は基本的にドスケベであるというような物言いも控えなければならないだろう。

そうはわかっているのだが、甘いものが好きな女は基本的にドスケベであるという断言をしたくなってウズウズしてしまう自分をどうしても抑えることができないというのは、やはり、私が使っているテレクラがスイートコールと名づけられているからであろうか。

そればかりではない。甘いものが好きな女は基本的にドスケベであるなどということを証明する根拠などは一つもないにも関わらず、スイートコールのツーショットダイヤルで出会ったドスケベ女はみな基本的には甘いものを愛しているのである。

スイートコールを利用しており、甘いものを愛し、とんでもなくドスケベであるという女とのセックスを繰り返していたら、甘いものが好きな女は基本的にドスケベであるという暴論を暴論と思えなくなるのも仕方ないことではないだろうか。

実際、今回出会ったテレクラ女もまた、甘いものとセックスが大好きな女だったのだから、これは「根拠がない、暴論だ」などというのではなく、真剣に「甘いものと性欲」について考える機会を持たなければならないのかもしれない、ということを、甘いものを食べた直後で口内に糖分が残っているテレクラ女とディープキスをしながら考えた次第である。

テレクラ女の下着を切り分けられたケーキであると捉えるクセがついてしまったのは、甘いもの好きなテレクラ女との度重なるセックスのせいである。

今回のテレクラ女はピンクを基調とした布地に生クリームで描かれた花のような白の刺繍が施されているパンティをはいていたのだが、そのパンティにするりと指を滑り込ませる私の人指し指と中指と薬指は、ケーキに突き刺さされるフォークに似ていたのではないだろうか。

そして、彼女が上の口で味わった甘味を、私は自分の指先を通して味わうというわけだ。女性器の重層的な構造はスポンジとスポンジの間に具を挟んだケーキを切り分けたときの断面図を思い出させる。アナルに突っ込んだ指先をなめればそれはビターチョコレートの苦味。

ドーナツを食べつづけたプレスリーのように快楽は「むさぼる」ものなのだ、ということを、甘いものが好きなテレクラ女の積極的なフェラチオや、献身的パイズリ、激しい腰使いは教えてくれる。

「むさぼる」という感覚がないところに、テレクラセックスの醍醐味はないということを熟知しているかのようなテレクラ女の肉体の快楽を、私もまた、テレクラ女がそうするように、「満足」など知らないかのようにむさぼる。途方もないむさぼりあい。

なりふりかまわないセックスによって二人の意識と性器は混濁してグチョグチョになる。口内で咀嚼されたケーキ、そして嚥下して内臓に流れ込んだケーキがそうであるように、むさぼられた甘いものの末路は汚物である。激しいピストン運動を繰り返してそれぞれの甘味をむさぼりながらエクスタシーに到達した私とテレクラ女は、二つの汚物でもあった。

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