それは青年期に訪れたあの地中海よりもずっと青いブラジャーだった。少なくとも私にはそう感じられたのだから、仕方ない。
それに、なんといっても、スイートコールのテレクラ女とのセックスというのは旅以上に旅なのだから、誰にも文句は言わせない。私はゆうゆうと女体の旅を楽しむ。
テレクラ女とのセックスという特殊な旅を楽しむ旅人になってから、私はいわゆる普通の意味での旅行というものはまったくしなくなった。
テレクラ女とするセックス以上に興味深い旅先というものは、もうこの地球上のどこにもないだろうという確信を私は持っている。
テレクラ女の紺碧のブラジャーとそのブラジャーに覆われた乳房、私の手によって揉まれるたびに形を変えてやまない柔らかく豊満な乳房は、そんな私の確信を強めるばかりの感触と視覚的快楽を私に与えてくれたのだった。
むろん、乳房だけが素晴らしかったのではない。同様に紺碧のパンティからはみだした尻たぶの柔らかな感触は、ブラジャーという海から彼女の腹の上に上陸し、下腹部に移動する手がするすると脇腹を横断して彼女の背面にまわされ、パンティという海に到達し、その海面を滑るように渡りきったさきで、まったく別種のやわらかさを私の手のひらに届けてくれたのだし、なんといっても、彼女の尻を揉みながら私の舌は彼女の口のなかに侵入してもいたのだった。
まったく、このディープキスってやつは!必死になってスイートコールでツーショットダイヤルをし、テレクラ女を口説き落とすのは、このディープキスという異国の味を思う存分に堪能したいがためではないだろうか。
旅の当面の目的はディープキスだ。だけれども、ディープキスという主要な目的を終えたからといって、異国であるテレクラ女の肉体から去ってしまう自分ではない。
テレクラ女の肉体のうえをゆっくりと時間をかけて散歩するという楽しみをないがしろにする理由はないのだし、また、私はこの楽しみこそを何よりもテレクラ女の女体旅の醍醐味であるとも考えているからだ。
紺碧のブラジャーを剥ぎ取り、その乳房の丘陵の先端にピンと立つ乳首をいじくりまわすとき、私は、登山家の登頂と同程度の興奮を抱いているのではないか。命の危機を感じることなくこの到達感が味わえるのだから、登山家には悪いが、私の冒険はイージーでありながらディープだ。
顔面騎乗。この少しばかり逸脱した非日常的なプレイは、まさにテレクラ女のような性的にアグレッシブな相手だけが私に与えてくれるすさまじい景色だ。横たわる私の顔面に向かってゆっくりと迫りくる女性器と陰毛の迫力、そして呼吸困難になるほどの圧迫と、鼻がダイレクトに受け取る女の性の生々しいにおい。
マラケシュを歩いているときもこの顔面騎乗ほどには五感を刺激されなかった。きっと私には旅情がない。だが、テレクラ女という女体を旅するための感性だけが突出していた。旅への不満や不安は、テレクラ女とのセックスを境にすっかりなくなった。私は旅をする場所を間違えていただけだったのだ。
異性は異国だ。挿入は国同士の交わりだ。私という土地が、彼女という土地のなかに侵入し、混じり合い、体液を交換しあいながら、お互いの文化に影響を与えていく。
テレクラ・モナムール。かつて広島の男とフランスの女がセックスをしたように、テレクラユーザーの私とテレクラ女がまぐわう。
ピストンのたびに小刻みに震える乳房、その地殻変動。旅先の異国の地で巻き込まれる天変地異。だが、この天変地異のさなかの射精と同時にたとえ命を失ったとしても、私は決して後悔はしないだろう。
痛みをともなった膣内射精で意識を明滅させながら、私はうそぶく。