素人感があふれる女の子とセックスするならテレクラに限る

素人感があふれる女の子とセックスするならテレクラに限る

テレクラマックスを使い続けているのは、やっぱり、ほどよい絶妙の素人女とするありふれたセックスがいちばん好きだからなのだと思います。

最近だと、「アイドル並みにかわいいんじゃないの?」って驚くくらいのルックスのAV女優が副業として出勤する高級風俗なんかもありますけど、ああいうのはちょっとついていけません。その言葉の通り、自分には「高級」すぎるんですよね。

その点、テレクラは最高です。「アイドル並みにかわいい」なんて女の子とめぐりあうことは滅多にありませんからね。いや、これは悪い意味ではありませんよ。

素人感を何よりも好む男性にとっては、「よくよく見るとかわいいかも」とか「地味なんだけどなんだかエロい」みたいな印象の素人女性とわんさか繋がってセックスができるというテレクラの特徴がそのまま「メリット」になるのです。

「アイドル並みにかわいい」みたいな女の子と出会うときの喜びも、無数のエロ素人との出会いとセックスという土台があるからこそ感動的なのではないでしょうか。

テレクラで出会える素人の女の子の良さは、日々の家庭料理だとか、行きつけのちょうどいい定食屋の良さなどに近いのではないでしょうか。それは「暮らし」に密着していて、自分の身の丈にあっているセックスであるということです。

今回マックスで出会い交渉に成功したテレクラ女性は、まさに素人中の素人といった完璧なテレクラ女性でした。

私は、なにも素人ならばなんでもいい、というわけではありません。「素人」というのは、私のなかで「美人すぎず醜女すぎないギリギリのラインをついているかどうか」という意味を持っています。

今回の素人女性は、そういった私の「素人」の基準を「これ以上はないだろう」というあやういバランスで満たしている女性でした。

たぶん、これよりちょっと不細工だったらチンコが勃たなかったかもしれないという直前で踏みとどまる顔の造形、もったりとした喋り方や媚びの少ない洗練されていない仕草、それでいて身体だけは極上、喋り声とは違う喘ぎ声にはほのかなかわいらしさと卑猥さが宿る。

こと「日常的なセックス」という観点からみると、この素人女性には「素人」として否定するところがまったくありません。

テレクラを利用していても、ここまで見事な「素人」と出会えるということはなかなかないのです。

この「素人」がいかに優れた「素人」であるかを見抜くのには、ある程度の眼力と経験が必要となります。そして、私は、手前味噌ながら、その眼力と経験を持っている側のテレクラユーザーであると自負しています。

テレクラを利用する無名の素人女性というのは、民藝のようなものなのかもしれません。テレクラで素人を探してセックスをする、というのは、民藝運動に近い活動であるのではないか、そして、私は、セックスにおける柳宗悦を目指しているのではないか。

素人女性のたどたどしいけれど一生懸命なフェラチオや、挿入中の生々しいリアクションなどを見ながら、私はそんなことを考えました。

そして、テレクラマックスという素人であふれかえる場所は私の素人性交というセックス民藝運動の拠点であるのだろう、と確信しながら、素人女性の温かな膣のなかに大量射精していたのです。

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